夢を将来の仕事にできた人は、できなかった人の1割以下に過ぎない
子どもの頃、なりたい将来の夢を持っていた人も多いことでしょう。
自分の可能性について論じる前に、とにかくなりたい夢を持つことは
子どもにとってモチベーションの1つになっているとも言えます。
そんな子どもの頃に持っていた夢は、大人になってどうなったのか
「現実はそんなに甘くない、夢はあくまでも夢」
「夢を見るのは自由だけど、夢と現実は別」
という言葉を頭に思い浮かべる人が多いことでしょう。
現実に夢を将来の仕事として就職できた人は、全体の1割以下です。
9割以上の人は、夢を諦めたり妥協したりして就職していることが分かります。
就職活動をする上でポイントになるのが「やりたいこと」や「夢」です。
この漠然としたイメージを基に就職先を探したり、就職活動を進めるが故に
就職先に対する捉え方が曖昧になってしまい、進むべき道を見失ってしまうケースが
多く見られるのが現実です。
どうして仕事を見つけるのに「やりやいこと」や「夢」が入り込んでくるのでしょう。
まさに「夢が就職活動を翻弄する」と言っても良いでしょう。
そういう考えに立てば「夢」というものは、仕事を探す上においては
邪魔な存在でしかないとも言えるでしょう。
更に言えば「夢」を持っていない事への悩みという問題すら生まれます。
「夢」が無い自分はどこに就職すべきなのか、「夢」がないのだから
どこに就職したって生活ができれば良いという思考に落ち着く人もいます。
これを見てもやはり「夢が就職活動を翻弄する」ことは弊害しか生みそうもありません。
夢を持て、夢は持つな、相反するこの言葉はどちらも正しいと言える
夢を持っていても挫折を味わったり、夢がないから仕事も見つからない
だから就職に失敗してフリーターになるしかないという悪循環に陥ります。
散々、夢を持てと言っておきながら、夢と仕事は一致しないという現実を突き付けられ
夢は持っても意味がない、夢は持つなという結果になってしまう。
では何のために「夢」という「キレイごと」を強要され続けてきたのでしょうか。
・諦めなければいつか夢は叶う
・夢を叶えるために努力しよう
・夢を持って目的意識を持って!
・一流と言われる人は夢を諦めなかった
・夢を具現化できる人こそ成功者
こんな標語のようなキレイごとを子どもの頃から言われ続けている日本人。
夢に縛られ続けて生きているようにも見えます。
夢を持てという言葉と、夢は持つなという言葉
相反するこの言葉はどちらも正しいと言えるのが悲しい現実です。
どっちも前を向くための言葉としてとらえることができますが、
夢を持つなという人が少ないのは「無責任」と言われてしまうからでしょうか。
個人的には「夢を持て」という人のほうが無責任ではないかと思わざるを得ません。
夢を仕事として成就させることができるのは、全体の1割以下でしかないのに
「夢を持て」というのは最終的に9割以上の人に「将来的に諦めることになる」
と言っているに相違ないと考えるからです。
であれば「夢を持つな」という言葉は逆に説得力があるように思えてなりません。
夢が就職活動を翻弄するほどの力を持つなら、その夢を持たなければ
翻弄されることのないのでしょう。
フリーターとして日々悩み続けている人の多くは「夢を持つな」と言う事でしょう。
夢が無い=将来の自分が見えていないという理想論は、破滅論とも言えそうです。