イチローのように夢を現実のものにできる人がどれだけいるだろうか
イチローは引退会見で子供へのメッセージとしてこんなことを言ってます。
「自分が熱中できるもの、夢中になれるものを早く見つけてほしい」
言わんとしていることは分かります、自分が熱中できることを極めて行けば
その道のプロになれると言いたいのでしょう。
熱中できること、夢中になれることは些細な事であれ誰にでもあるものですが、
だからといってそれをどこまで極められるかは疑問が残ります。
しがらみがあると言えば語弊があるかもしれませんが、正直なところ
人生というのは自分一人で決められるものではありません。
偏見かもしれませんが、人間は自分一人で生きていくことはできません。
生まれて数年は親がいなければ食事すらまともに摂ることができない、
成人するまでに生きていられるのも家族や社会があるからであって、
たった一人で大人になることは不可能です。
そういう意味で熱中できるもの、夢中になるものを見つけられたとしても
それを将来の自分の生きる糧として手にすることができる人というのは、
本当に一握りであることは言うまでもありません。
イチローだからこそ言える言葉かもしれませんが、逆に言えば説得力は薄い
世界に何人もいないような存在の人が放つ言葉にありがちなド正論であり、
「100点満点すぎる」ような気がしてなりません。
好きな事、興味のある事を見つけることが本当に正しいかは怪しい
全ての人が自分の夢や希望を叶えて、その道のプロとして超一流の第一線で
活躍したとすれば社会は成り立ちません。
社会にはいろんな仕事があります、ある人にとってはすごく苦手な事だったり
やりたくないと心の底から思うような仕事もあります。
面白さ、やりがい、過酷さ、大変さ、辛さ、楽しさ、そういったことが
ごちゃまぜになって社会を構成しています。
好きな事、興味のある事を見つけることが本当に正しいかは分かりません。
中にはそういった事を見つけて、まさにイチローのように極めることによって
世界のトップに立つような人もいるでしょう。
でも大多数の人はそうではなく、どこかで折り合いをつけて社会人として生活しています。
もし好きな事、興味のある事を探し続け、それを追い求めることを是として
生きて行ったとしたら、まともな生活を送れる人がどれだけいるでしょうか?
それで結婚して、子供を作って養っていくことができるでしょうか?
良く言えば「何事にも一直線でポジティブ」かもしれませんが、
逆の言い方をすれば「単に無責任なだけ」となりかねません。
好きな事、興味のある事を少しでもかじることは、間違った事ではないでしょう。
ただ、それだけを追い求め続けることは、目の前の現実から逃げていると言えます。
何かを見つけることに躍起になって可能性を狭めるリスクがある
夢中になれることが見つかったとして、それを極められる人は一握りです。
多くの人は挫折して、次なる目標や夢を探すことになります。
さらにそんな生活の中から「これかな?」というある種の妥協をして、
生活をするために仕事を始めていくことになります。
ここではそんな社会の是非を問うのではなく、そんな社会であるからこそ
何かを見つけることにいつまで力を注ぎ続ければいいのかを問いたいのです。
夢を追い続けること、探し続けることは素晴らしい事です。
その素晴らしい事に躍起になることは、逆に可能性を狭めるリスクがあると思います。
何かを追い求めた結果、大卒で就職することは是ではないと判断しフリーターになる。
フリーターになってからの現実は、それまでの人生よりも過酷です。
それによって夢を追い続けることに無意味さを感じてしまったとすれば、
それは「仕方がない事」と言えますか?
やってきたことが100%全て無意味だとは言えないでしょう。
しかし時間を取り戻すことはできません、良かれと思って頑張ってきたことが
自分の人生にとってリスクになってしまうとすれば、それは善とは言えないかもしれません。
やらずに後悔するぐらいなら、やって後悔するほうがいいというのは正論ですが
後悔の度合いが人生を左右するレベルになってしまうこともあるのです。